「学び」とは自ら掴みにいくべきもの

社会人になっても、人間は学びのプロセスを止めることはできません。社会人になると、勉強から解放されるというのは妄想であり、人間は一生学び続ける動物であると言えます。

近年の学校教育や塾産業を鑑みると、「与えられた問題の正解を点数で評価し、順列をつけることに目的が置かれている」そんな想いがしています。

与えられた問題の正解を探す、あるいは解く…。この行為は、これから急速に普及するAI(人工知能)に変わることは間違いありません。また、人間は与えられた問題を解くことに、真の学びは皆無(あるいは薄く)となります。

学びとは自ら進んで、興味ある分野を見つけ出し、探究し、結論づける行為のはず。長い間、日本の学校教育をはじめとした学びのシステムは、今後劇的なイノベーションの必要性があるでしょう。

先日これからは「問題解決力」よりも「問題設定力(構築力)」である…という記事を書きました。

そこでの主張はまさに、自ら問題(課題)を構築できる(探究材料を掴みにいく)スキルなのです。

企業は最大の教育機関である…。坂本光司先生の言葉。定年設定のない企業も増えていく中。40年以上働く社会人として、自ら掴みにいく学びの姿勢を重視する考え方、仕組みが重要であることは間違いない。

経営者が与えるような、社会人教育のプログラムではなく、社員が自ら「学びたい」と思う仕組みや内容を立案することが大切なのです。

学びたいと思うプログラムは…参加して愉しい、小さな成功体験がある、目標が明確になっている。そんなプログラムです。

この投稿へのトラックバック

トラックバックはありません。

トラックバック URL